セブン小僧

 浮遊エビの透き通った脚を見つめるうちにすっかり上の空になって、黄枝さそいの話をまるきり聞き逃してしまった。
 ひとつの世界にチューニングを厳密に合わせ続けるのは私には難しいことで、大まかに固定することはできるにしても、気がつくとすぐに振れ幅が許容値を超えて、位相がずれ、丸いテーブルの向こうに座っている黄枝が斜めに傾いだ枯れ木に変わってしまったりする。
 けれどそれはお互い様だし、黄枝もあまり気にしていないようだ。
 表は雨で、黄枝にとってもそうらしい。雨といってもそれは漏出したデータの残骸であり、訳語としては少し飛躍があるのだが、他に伝えようもない。ともかくそれは、ざざざざと音を立てて降りしきる。
 と、私がコントロールを離れ、自律駆動し始めた。同期が不安定だから仕方がない。
「ねえ、黄枝、またあの話してよ」
 と私は眠そうな顔でせがんでいる。だが、私には、「あの話」の心当たりがまったくない。


 黄枝がセブンでバイトしていた時、セブン小僧に遭った話だろうか?
 黄枝が普段と違うシフトに駆り出されたときの事。たまたま一人きりになったタイミングで、ヤマトの宅配員が荷物を受け取りにやってきた。どう対応していいかわからずとまどう黄枝の裾を、どこから現れたのか、頭の大きな子供が引いた。子供はレジのタッチパネルを指して、「日報」「日報、ってところにあるよ、ヤマト」と操作を教えてくれる。
 何しろ慌てているから、不審がるより先に、とにかく言われるがままに操作を終わらせてしまって、荷物を受け渡した時には、もう子供の姿はどこにもなかった。
 相模のセブンでは数年に一度そのような子供の目撃情報が語られ、「セブン小僧」と呼ばれており、セブン小僧におでんを食べさせたら熱がって鼬の正体を現したとか、それをやった人間が原因不明の高熱で死んでしまったとかいう話が伝えられている事を、翌日聞かされたという。


 でも、黄枝が「また?」と語り始めたのはそれとは全く違った物語だった。それはまだ昔のことがいつまでも昔のことのままであったくらい昔の話、もう決して未来や現在になったりしない昔の話、モナドの暗号が一つも解かれておらず、諸世界が見かけ上ぴったり一致して見えるほど同期が強固だった時代に語られた物語の一つなのだという。


 その話を聞いている間に、私は眠ってしまって、私も眠ってしまって、そのことによって私は再び同期し、浮遊エビが永遠に生き続ける部屋のなかに戻ってきたのだが、目が覚めたときには、もう誘は帰ってしまっていた。せっかく久しぶりに遊びにきてくれたから、ほんとうはもっと色々やりたかった。テーブルの上には厚い厚い埃が積もっていて、その下には真っ茶色になった下手くそくそな羊毛フェルトシーラカンスマスコット(私の)と上手なテーブルセットマスコット(誘の)がまだ形を留めていた。セールを見てなんとなく買って放置していたキットに使いみちができてよかった。でももっと色々遊びたかった。


 服に積もった埃を払って、取れてしまったドアの板を踏んで表に出ると、村は滅びて、巨獣が骨だけを砂に残して消え去るように、白茶けた遺跡に変じていた。黄枝は遠い昔に死んでいるし、死んだままだ。しょせん信号機の織りなすまぼろしに過ぎない。雨の気配ももう少しもない。小さく絞られた陽が、進め、留まるな、進め、と急かすようだった。
 私は家を振り返った。暗い奥に、私がテーブルに突っ伏したまま眠っている。しばらく、眠り続けたままだろう。
 私は歩きはじめた。