全ての日

 緑色の砂漠だった。月に照らされて透き通った海のようにさらさらと耳に鳴る。まるで夢の縁に立っている思いだった。この煌めく緑の砂すべてが、ケムミァーンの父祖たちであるのだろうか。
 ケムミァーンは氷から生まれたと聞かされていた。本当のところは知らない。大体、人間がどこから生まれてくるのかでさえ、本当のところは誰も知らない。ケムミァーンは流氷にのってやってきた。ケムミァーンは緑の砂漠の砂になる。それが繰り返されてきたこと。それが確かなこと。それは葉が風にそよぐことと同じように魔法だ。
「俺は、私は、明日は。またしてもここに来た。憶えている──憶えている。忘れるものか。確かなことだ。時がある限り続くであろう。憶えている──憶えている。だが記憶とはなんだろうか。現にあるすべては記憶とどう違うのか。一度ごとにはじめて作られる。見出される。ケムミァーンは、またここに来た、またここに初めて来た、いつも初めて来るのだ、何度でも」
 この砂漠に寒さはなかった。悲しみのひと欠片とてなかった。痛ましいほど純粋に砂漠が広がっていた。
 なぜ私がここに来ることができたのかはわからなかった。そうであるなら、きっと私がここに来たという考えは間違いであるのだろう。私はここにきっといないという仕方であるのだ。人はいる以外のところではいないのだから。
「ケムミァーン。葉脈。あなたの意味がその出生と死をただ繰り返すことにあるのなら、あなたが振り子運動のようなものでしかないのなら、あなたがただの砂に帰着するなら、それは救いだろうか。あなたという余剰が剥ぎ取られることは」
「私はおまえの言うことを理解しない。どこにも余剰も不足もない」
 ケムミァーンとは、気づいてみれば、それはただの影であった。月の夜、居酒屋に付き合わされた帰り、石の橋の上を走る白い鼠を見かけた。白い鼠の落とす影を。すると無性に寂しく死にたい気分になった。
 そのケムミァーンと気づけば三百年を過ごし、とうとうこの砂漠にやってきてしまった。石の橋の上に私を置き去りにして。
 おや、おや。一体どういうことだろう。祖母にあれほど警告されていたのに私は簡単に真実を見てしまったのだろうか。あっさりと真実の罠にかかり、それに取り込まれてしまったのだろうか。人は簡単に真実に落っこちてしまうから、ちゃんとバランスを取って歩きなさいとあれほど言われていたのに。
「ねえ、ケムミァーン」
「なに?」
「すべてのものがすべてであること、それだけが存在して、これらはただのその一部であるにすぎないのかな?」
「さあね」
「ケムミァーン、あなたが砂になったら、私は? 私はどうなるの?」
「どうにもならない。また鼠になって走るさ。影がいつもともにある」
「月や街の灯りが?」
「夜のサイレンや、サイダーの泡や、立ったまま眠るキリンや、ともかく何かはだ。何になるかは知らない。深い海の底の退化した目かも」
 そんなようなことを。そんなようなことを。そんなこととともに。

 洗濯物がいやに熱く感じられた。雑草が随分伸びた。除草剤を買ってくる必要がある。すべて夢まぼろしのなかで。結局は葉っぱのお金で。洗剤の匂いと太陽の匂いが混じって届く。
 私はくずおれ、泡を吹いて痙攣し、自分の絶命をしっかり見るために目を大きく見開きながら洗濯物を籠に放り込み、折しも迷い込んだ蝶に目をやって、サンダルを鳴らし、家に帰ってゆく。目が慣れてなくて、家の中に影がぎゅうぎゅうに詰まっているように見える。食事の支度をする。明日起きる準備をする。首に下げた十字架のネックレスを引きちぎり、それを遠い崖下に放る。何も肯定せず、何も否定しない。
 そんなことをケムミァーンと約束したような気がしたから。気がしただけなんだが。