出現9

この世を一つのチェスとして、そのチェスの必勝法を解析し遂せたペュォオンテは、また自らの全ての行いの最終的な結果を予見することができた。そこでペュォオンテは遠い未来に実を結ぶことになる一つの指し手を示したのだが、その結果はこれからこの物語で語られるところとなる。顔も知れぬ出題者のために自らの解を奉納することを己が使命と思い定めたペュォオンテは、満足のうちにその生涯を了えたのだが、出題者がそのことによって満足したものか知ることは永遠にない。

出現8

バッハの対位法を想起せよ。すべて美しいもの、完全なるものはパターンの反復と変奏の調和より成る。ちょうど私たちの校舎のように。我々を取り巻くこの世界には、一つの《主題》が存在する。

これは、その《主題》の物語。

全ての物語がその変奏である物語。

これは、お前がそこから生まれてきた物語。

お前もこの語りを聞け。

ザテンニベのテトリスとともに。眞榮城ずずとともに。シャムト、ヘステ、アレイスなどと呼ばれる者とともに。

それは喜ばしいことなのだから。耳を欹てよ。

お前はついにこの物語のなかに故郷を、安息の家を見出すだろう。

お前は帰る場所を得るだろう。

これは、お前自身の物語。

聞け。私は全ての風のなか、全ての語のなか、全ての窃かな怒りと反逆のなかに書き込まれている。聞き、そして語り、書け。この物語を正しく書くことができるのはお前だけなのだから。

出現7

クジュテメシナは遺伝子改造によって毛皮を備えて生まれた男から剥いだ人皮のファーコートを着込んで3年2組で開催される生徒会に現れた。部屋の中心には直径3cmほどの円柱となって床と遥かに高い天井をつないでいる今代生徒会長ツナギ・アルケプヒュラがいた。ツナギ・アルケプヒュラが起こす放電現象から参加者を守るためのアースが鈍い音を立てて震えているのを聞くたび、クジュテメシナは遠い昔の秋にこの会議の場で殺された少女のことを思い出すのだ。

永遠のものがあまりにありふれてしまった場所では、有限のもの、終わるもの、繰り返さないものはとても貴重だ。少女ウルッスス・ピエトはそのような数少ない例外であり、そのような例外を作り出すため計画的に殺されたのだ。それ以来、この教室はとても神聖な場所となった。

アルケプヒュラの精神はあまりにも多くを蓄積し、自重によって崩壊し圧縮され変質した。アルケプヒュラには心も魂もアルゴリスムも世界もなく、だがそれはとても彼らしい性格だった。アルケプヒュラは会議に集った者の意思を収集し融合させつなぎ留め、それを機関に反映させる。アルケプヒュラをそのように改造したのはメズ・アルズだった。メズ・アルズは物言わぬ絨毯となって列席者に踏まれている。

クジュテメシナがこの生徒会に参加した理由は、ザテンニベのテトリスを捜索するためだ。必ずテトリスの貌をこの目で見る。

出現6

飼育していたネオンテトラの一匹が《共和国》の一員であった事件が判明して以来、水族館部ピケンダール支所の雰囲気はあまりよくなかった。副支所長ケアン・シャパーは聖母像の頭を蹴りつけると、(ピケンダールにはカ・クヴェール戦争で破壊された聖母像のすべての残骸が集められている)葉巻の吸口をカットした。我々水族館部はあまねく校舎に広がり、魚類の命脈を保たねばならない。マンボウやマグロの大群を回遊させるに充分な広さの領土が必要なのだ。やがては校舎の七割以上を海に変えなくてはならない。だというのに、飼育している魚類から共和国民が現れるなど、あってはならないことだ。構造を失った共和国、アルケンジマルは永遠に滅びていなくてはならないのだ。ケアンは緑色人の捕虜の頬に葉巻を押し付けると、サカササカササカサナマズに餌をやりに立った。サカササカササカサナマズは、逆さに泳ぐことで知られているサカサナマズのうち、ふつうの向きに泳ぐ亜種であるサカササカサナマズのなかの、逆さに泳ぐ亜種である。このような稀少な生物が失われることはあってはならない。

ケアンの頭を占めているのは逆十字部との取引のことだった。墨遠斯耳(スミオシミミ)を保有している逆十字部の力が味方につくならば、それは我々の繁栄にとって大きな前進になるだろう。だが、あの狂信者どもと係り合いになることに、悪い予感が拭えない。

出現5

コカトリスは眞榮城ずずが旅立ってからというもの泣き暮らしていた。コカトリスはある冬の日、眞榮城ずずの燭台の炎に身を投じて焼け焦げていた蛾だった。眞榮城ずずがそれを捕まえ、水盤に人の姿で映し出したことによって人間となったのである。正確には、そのようなことが現にあったわけではなく、ただ水盤がそのような光景を映し出したに過ぎないのだが、同じことだ。

泣きながらずっと水盤の前に座っていた。水盤は何も映し出さないまま、夏の夜が、冬の朝に取って代わった。季節ごとに、うなじに給食を挿して構造を維持する。コカトリスは、水盤をうまく見るには自分が人間であることを忘れなくてはならないのだと知っていた。鉄格子のはまった窓から落ちる影は、一年の間に一度だけ、バーコードとして読み取り可能になる。しかしコカトリスはそのようなものには目もくれず水盤を見続けた。

低位の部員がコカトリスの世話をした。矮躯の4本腕のウジュテは、第三代水盤見部長の御代から部に仕えているのだという。コカトリスの頭からいくつもの菌類が生え、コカトリスの躰は苔に覆われた。コカトリスの目は黴に覆われ、コカトリスは呼吸を忘れた。コカトリスの躰から暗闇が分泌され、部室を抜け出して方々で悪さを成した。それでも水盤は何も映し出すことはなかった。

出現4

初代校長の名は知られていない。伝承により、シャムト、ヘステ、アレイスなどとされる。その姿は真円とも楕円とも、獅子とも波形とも太陽ともされる。彼が実在したトトゥク族の祖王であったことについてはほぼ間違いのないこととされている。だが、それらを検討することに意味はない。その過去は保存期間が過ぎている。つまり、それは無かったのと同じことなのだ。初代校長の子の名はアリーと言った。アリーは妻テレトを娶り、ジュシマ、サレスを生んだ。アリーは25164852年と8ヶ月生き、鏡になった。ジュシマはゲシラを娶り、ガガス、テクリ、アシス、スーカを生んだ。ジュシマは14853995年と5ヶ月生き、沼になった。ガガスはトツテムを娶り、ヘレス、トルト、ケリク、イミを生んだ。ガガスは8649635年と8ヶ月生き、花になった。イミはヘレス、トルト、ケリクを殺し、族長となり、ゼムトを婿にし、フキュト、ソサムを生んだ。ソサムは後に眞榮城ずずとなった。

出現3

「《誰にも読めない書物》……」

眞榮城ずずの呟きは部屋の暗闇に吸われていった。暗闇は円柱と円錐と球体に分解することが可能だ。その円柱と円錐と球体を眞榮城ずずの呟きは撹拌した。

眞榮城ずずは水盤見部長だ。部室の中心にある直径2メートルほどの水盤をじっと見つめていると、一年に何度か、何かが映ることがある。それを待ち続ける仕事を遥かな昔から続けている。

「どうしたんです? 部長。何か映ったんですか?」

カウチに寝そべっていたコカトリスが顔を上げた。

「いいえ、何も。ただ……」眞榮城ずずは円柱と円錐と球体の戯れを見つめた。「懐かしい……。生きていると乱丁によって同じ頁が繰り返されることがあるの」

眞榮城ずずが立ち上がった。コカトリスがぎょっとして身を起こす。

「眞榮城部長!? 一体どうしたんですか?」

「行かなくちゃならない。後はまかせたわ」

「ま……そんな、人間みたいに歩かないでください……」

コカトリスはこの時を以て第6代目の水盤見部長に就任した。だが、誰も眞榮城ずずのように巧みに水面のヴィジョンを見ることはできないだろう。